『面子』は便利な言葉では無かった!!全ての行動の根幹では!?

根底思想
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中国で人気のキモカワキャラ
中国で大人気のキモカワキャラ。文字は『私の面子はないの?』

中国に来る前、中国を知っている方々から『中国人は面子を重んじる』という言葉をよく聞いていた。その当時は『面子か…都合のいい便利な言葉だな』程度にしか思っていなかったのである。我々日本人にも当然、面子はあるが、わざわざ口に出して言う機会がないのが現実なのではないだろうか⁉ たとえ言う機会があっても、やはりそれは明確な理由がなく、自分の気持ち的に、都合のいい言葉として使うのではなかろうか⁉ ようするに、具体性に欠ける時に、定性的、感情的に使うのが、日本的な面子の使い方ではないだろうか!?

それから中国に来てからというもの、聞いていた様に、やはり周りで『面子』という単語は良く使われる。会議で面子が潰された…この酒を飲まないと俺の面子が…せっかく用意した料理、一口でも食べてくれないと面子が… 私の面子を立てて…などなど、あらゆる場面で面子は使われるのである。

それから数年が経ち、なんとなく面子という言葉をよく耳にし、重要であるだろうから、潰さない様にだけに気を付けていたのであるが、とある日、勤務態度が悪いスタッフに対し、指導するために面子を潰さない様に個室に呼び、1対1で指導した後、応援したのである。それからというもの、彼の勤務態度は、すっかり心を入れ替えバリバリ働くではないか!? 後々『あの時の面接のお陰』という声まで聞こえてきたのである。

これに味をしめた私は、今度は面子をうまく利用するようになったのである。例えば『この土産は君にあげるのではない。君の両親にあげて。君の面子も立つだろう』とか『この成果はあなたのこういう努力のお陰!おめでとう‼』と皆の前で褒めたりするようにしたのである。こうなれば、仕事がかなりやり易くなったのは言うまでもないだろう。

現時点では、面子を都合のいい言葉で片づけていた時と比べて、中国人の面子に対する意識を理解するようになって、『全ての行動の根幹が面子』ではないか⁉ と思うようになったのである。過去の出来事を振り返ってみても、なんとなく当てはまる気がする。『中国人は面子を重んじる』という先人の言葉は本当であったと遅まきながら、ようやく理解する事が出来てきた今日この頃である。

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