人生初の3日酔い ほろ苦い中国デビュー

酒あるある
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人生初の三日酔い。『酒は飲んでも飲まれるな』だが、中国の白酒は別格である。
人生初の三日酔い。『酒は飲んでも飲まれるな』だが、中国の白酒は別格である。

DAY 1 『全く記憶にございません』

今から遡ること7年前、まだ私が中国に来て数ヵ月しか経っていない頃の話である。ちょうどコロナで世界的に有名になってしまった湖南省 武漢市で大きな会議があり出席することとなった。会議の内容など全く覚えていないが、お酒の席は今でも鮮明に覚えているくらい強烈な体験であった。いや、記憶がほとんど飛んだので、後から通訳のスタッフから聞いた話である。

会議が終わり、宴会が始まる。総勢60~70人くらいであっただろうか、大きな会場で、円卓が10テーブルくらいあった内の1テーブルに着席した。周囲に流されながら、乾杯に来る人々を相手に、白酒を一気させられ続けていた様だ。

右も左も知らない人だし、当時はまだお酒の作法も知らず、言葉も交わすことが出来ず、乾杯をするしかないのだ。今ほどの乾杯を避ける術も知らずに… 。今考えると非常に惨めなものだった。それから、大人数の乾杯集団が私のところにやってきて、1対1の白酒一気飲みを、おそらく人数分したのだろう。それを境に記憶がない。

起きたら朝の9時頃である。ベッドは白酒の甘ったるい匂いに包まれており、その匂いだけでも吐けそうだった。よく見ると、財布とパスポートがない‼︎ フラフラで通訳のスタッフに連絡をとった。幸いパスポートや財布は通訳がチックインの時にフロントに預けたらしく見つかった。

通訳が言うには『昨晩は凄かったですよ。白酒2本は余裕で飲んでます。どうやってあなたを潰そうかって、中国人みんなで相談してましたよ。』と言われても…記憶がないので、その後何があったのかは、分からない。その言葉だけであった。

DAY 2 『ビール2口でゲロゲロ』

次の日、せっかく武漢に来たのだからということで、市場調査を入れていたのである。正直、市場どころの話ではない…。昼飯は喰わずに済んだのだが、晩飯は、またまた会食となった。『もう勘弁してくれ〜』が正直な気持ちである。

胃は膨満し、お酒どころか、食事も全く喉を通らないのである…。 それでも乾杯はやってくる。ビールを1口、2口飲んでみた。『あ〜っ!やっぱダメだ〜』すぐさまトイレに吐きに行った。その後も乾杯は続く。3口4口目を飲む。やっぱり吐きに行ったのである…。

それでも、ビールだけで済んだのは不幸中の幸いである。その日は早々に寝床について、翌日の回復を祈るばかりであった。

DAY 3『あなたが飲まないと俺の面子がない‼』

3日目も市場調査。昼飯時にまたもや、白酒を飲まなければならなくなった。『日本人が初めて来た‼』という事で、昼間っから野生のウサギ肉を振舞ってくれた。白酒と一緒に…。

6~7人で円卓を囲むのだが、3日目なので、もう大丈夫かな?と思ったが、やっぱり一滴もお酒が飲めない状態であった…。振舞ってくれたウサギ肉も楽しめない…。プラスチックのコップに入れられた溢れんばかりの白酒も、舐める程度しか飲めない…。それでも何とか終盤に近付いたその時、事件が起こったのである。

業を煮やした我々の担当者が一言『あなたが飲まないと、あなたを連れてきた私の面子が立たない‼』と。『・・・』それでも飲めないのである。仕方なく飲んだ素振りだけはしたのだが、彼らの不満は溜まっていく一方であった。

そして、長い時間が流れ、そろそろ終わりか⁉ と思った時、我々の担当者が『あなたのコップのお酒はどうする?飲めないのなら我々が分担して飲むが、どうする?』と聞いてくるのだ。しばらく考えた末『飲む…』と答えた瞬間‼‼『バリバリッ‼』と新しい2本目の白酒の封を切る音が聞こえた…。ちょっとした地獄モード突入である…最終的に紙コップ5分の1ぐらいは飲んだのだが、案の定、次の訪問先でトイレを借りて吐いた…。3日目なのにまだ復活せず…。

ほろ苦い中国デビュー

自分の人生の中で、2日酔いならぬ、3日酔いになったのは、後にも先にもない。胃が膨満し、お酒はもちろんのこと、食事すら喉を通らないのである。本当に悲惨であった…。ほろ苦い中国デビューとなったのである。

今思えば、腹立だしい話である。あの時こうすれば…とか未だに思うが、当時は何をどうしたら良いか全く分からなかった。また、中国初心者のフラフラの外国人を捕まえて、無理やり飲ます態度も気に食わない。この腹立だしさは、当時の自分への歯痒さと、相手の対応と両方に向いている気がする。

しかし反面、中国に来て早々にこういう機会があって『中国語をもっと勉強しよう』というモチベーションに繋がったかもしれない。やはり、コニュニケーションが取れないというのは致命的である。いずれにせよ、世界各国どこに行っても、無知とは怖いものである事を痛感した体験であった。

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